大下勝弘 南蛮魚文窯
琉球南蛮 山田焼 魚文窯
1350年、察度王即位の頃、恩納村の山田城下で山田焼が焼かれたと思われる。還元焔で焼かれ胎土は須恵質になっており、地紬が吹き出したものが多い。これが恐らく沖縄最初の陶器であろう。陶芸家の言う南蛮焼きの一種である。
山田焼き発祥地の山田城主である護佐丸が読谷村の座喜味城に移った時に、多分移したと思われる喜名窯は、タイ国の宋胡録の模造品を焼いている。それと同時に琉球泡盛源流であるタイ国のラオロン酒を入れた、ソコタイの酒ガメも模造され、これが現在の壷屋焼きにまで引き継がれてきている。
沖縄の自然は美しい。沖縄の海はどこまでもエメラルド・ブルーに輝いている。岡山の備前焼と薩摩の苗代川焼で学び、そして琉球の焼物にふれ、私独自の気風と作風でこの山田焼きを復興するとは夢にも思わなかった。豊富な水と近くには陶土が取れるこの環境で魚文窯を興した私は、まさに珊瑚礁の住人たちに教えられたのです 。
魚文窯 大下勝弘
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